Inquiring mind -2nd phase-

雑記

できない時期のメモ(感想)は大事。
練習の初期は上達が早いという話もあり、出来ない自分には割とすぐに会えなくなる(出来なかった頃の感覚をすぐに忘れる)

■記憶に残っているもの(ごった煮)
・2dx 2ndstyleで.59をクリアしてドヤ顔した後に、Macho Gang(A)の譜面を見て現実逃避した。(挑戦する気すら起きなかった)
・SHINE ON(A)、dong-tepo no.1(A)をプレイして絶望した。
・5鍵盤コンプ2の321 STARS(A)にボッコボコにされた。これとDRUNK MONKY(A)がずっと残っていた。
・ポップンアニメロ2号のデビルマン(H)にコテンパンにされて衝撃を受けた。
・14インチのブラウン管TVで家庭用8thをプレイしていて、Radical Faith(H)でAAAがどうしても出せなかった。(この時期から少しスコアを意識していた模様)
・オイパンク0 EXとクラ4H正規には相当苦戦したけど、どこかで克服した。
・Gengaozo EXが難しすぎて、現実逃避した。
・Gengaozo GODが難しすぎて、数年間選曲しなかった。

スコアを意識し始めたのはポップン13、2DX RED辺りからで、それまではクリアした曲のスコアを詰めるといったことをしなかった。
(というかHSの選択肢が少なすぎ&紙の存在を知らないというのもあって、スコア狙いに楽しさを見いだせなかった)

■何が成長に寄与したか
・アニメロ2号ダブル譜面
・ポップン6色譜面
・ポップン9 スパラン(最初に引いた磁気カードがスパランカードだった。これは運命的だった)
これが基盤となってポップン18くらいまでノンストップで進めた気がする。

2DX(7鍵盤SP)の方は
・nazoBMplayとarufis氏、黒猫列車氏の差分
に相当お世話になった。
多くの人がLR2に夢中になったように、おじさん世代はnazoに夢中だった。
それ以前はDelight Delight Reduplicationにお世話になっていた。(2020年時点でもまだサイトは残っている模様)

まだnazo irにアクセスできるようだったので記念撮影


譜面によってはそこそこ上の方で戦えた気がする。
色々なものに手をつけてたので、bms自体のプレイ回数がそんなに多くない。

■難しい譜面へスムーズに進めるかどうかの差がどこにあるか
振り返ってみると、練習初期に固定運指を使っているかどうかで分岐している気がする。
(スコアがめちゃくちゃ高い北斗スタイルの友人が高難度譜面に苦戦する一方で、自分は割とスイスイこなせていた)
自分はキーボードでbmsをプレイすることが多く(※)、運指を固定せざるをえなかった。(shift zsxdcfvという全押し不可のキー配置でプレイしていた)
ゲーセンで2DX REDを触り始めたときは、キーボードでプレイする時と同様にquasar式でやっていた。
HS~DD辺りで1048式に変えた。
※コンバーターという存在に気付かずに数年過ごしていた。これに早く気づいてたら何かが変わったかもしれない。

固定配置でプレイしながら課題難度を上げていくというのが大事そう。

■memo
ちゃんと纏めようとすると大変なので一旦メモ書きだけ。

・2DX8thくらいまでは難度のインフレがゆるやか(Holicとvはキツイけど)
・携帯にカメラがついていない
・インターネットに繋ぐだけで金が掛かる
・自分の記録を保存するためのカードが存在しない
・全国的に1play 100円になるまで結構時間が掛かった
・人気ゲームだったので、連コインはほぼできなかった
・2DXのプロジェクターが劣化して視認性が悪かった
・家庭環境を整えるのも大変だった(PCがしょぼい割に高い。20GBのHDDが2万円くらいする時代。デカイTVも高い)

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