【旧blog記事】葛藤
2011年11月06日
・普通で居たいと思う自分と、普通が嫌いな自分
「普通」とは多数派の考え方のこと。
服を着ない国があるとして、その国で服を着て生活すれば、
それは普通ではない。
誰だって1人は心細いもので、心細いから皆と同じことをして
心を落ち着かせたり、グループを作って馴れ合ったりします。
そういった人の繋がりは、楽しそうに見えて実は薄くて脆い。
心の隙間を埋める為だけの繋がりだから、その心の隙間が別の
何かで埋まればその繋がりは必要が無くなります。
「普通」で居たいと思うこと
普通に女の子とデートしたいと思うことがあります。
何か色々と突っ込まれそうですが、こんなトゲトゲしたオッサンでも
意外と好感を持たれることがあるみたいでして、
「一緒にお茶しましょうか」と言えばお茶してくれる女性はいるようです。
けどそれは、俺の心の隙間を埋める為のデートなんですよ。
「別にそれでいいじゃん」って言えばそれまでですが、相手からすれば
数ヶ月に一度だけお茶に誘われるという状況は謎です。
「気軽な付き合いすら出来ないのか、このオッサンは」
思考が全て「自己の成長」に収束するようになってしまったので、
その付き合いが有意義ではないなら、やんわりとお断りするようになりました。
「お前は俺にとって不要だ」なんて言うのは大変失礼な話でして、
そういった付き合い方をすれば鏡のように自分に返ってきます。
誰彼構わず不要だ不要だと言っていれば、俺はこの社会から不要となります。
だからもう少し正しく言うなら、どうしても自分と考え方が合わなそうな方とは
一定の距離を置かせてもらうことにしました。
例え目の前で話していても、心の距離は海を越えることもあります。
逆に考え方がフィットするような相手には、心のドアを全開放します。
人によって付き合い方が変わるのは「普通」?
無理をして付き合うことによって精神に支障をきたすなら、
無理をしない方が自然であり「普通」。
ただし、身近に考え方がフィットするような人が極端に少ない場合は、
定期的に心の隙間を埋めたくなるという訳です。
世に言われる「普通」が嫌い
ピアノのサイトを検索してみると、
今から始めた大人の場合「どれだけ練習しても弾けない」という
結論に至ることもあります。望んだ曲、憧れの曲が全て弾けるようにはならないのです。
従って、プロ並みに上達を望む人には酷ですが、その考えは今からピアノを始めるに
当たっては諦めて下さい。
と書かれてたりします。
練習時間が取れないからという理由ではなく、吸収力やらピアノを弾く手が
もう形成されないやらの理由で「絶対無理」が前提とされる訳です。
この考え方が「普通」というなら、そんな「普通」は糞くらえです。
確かにプロの中の頂点には辿り着けないでしょうが、「憧れの曲は
お前じゃ弾けないよ」と言われればプンスカですよ。
同様にポップンでも似たような話があります。
TOIは頂点に立てなかったから指押しというスタイルには将来性は無いとか。
俺と言う「突然変異体」が成果を出せなかったから(過去形なのがイラっと
しますが)スコアを出すのを諦めましょうというのが「普通」の考え方というなら、
そんな「普通」は窓から投げ捨てましょう。
要は「諦めることを前提とするな」ってことです。
ピアノで「この曲弾きてぇーーー」という気持ちや、
ポップンで「バロで95k出してぇーーー」という気持ちこそが、
やる気の原動力ですから、そこに自ら水をぶっかけることはないでしょう。
更に人間は自分でも出来ると思って物事に取り組むと良い結果が出せるもの
(スポーツで、人間では超えられないと言われるラインを誰かが超えていくと、
追随するように記録更新者が出る話が有名)なので、むしろ自分を騙してしまえばいい。
自分にだけはビッグマウスでいていい。自分以外の人にビッグマウスになる時は細心の注意を払うこと。
諦めることを前提とする多数派を少数派に変えられれば、
皆がやる気もりもりで、個性のある人で溢れることが「普通」になる。
素敵じゃないですか?
「普通」がゲシュタルト崩壊しそう
いつも通り纏まらなくなってきました。
少し客観的になります。
多分「他人の普通」と「自分の普通」に相違があって、この世の中で
「自分の普通」を貫くにはある程度の心細さに耐える必要があって、
「自分の普通」が通用する相手とは良い付き合いが出来るだろうという話ですね。
・・・奇跡的に纏まった感じがするので、ここで一旦終わりにします ( ´ω`)
※一部省略しています。